江戸末期、浜で獲れる魚を商っていた「魚五」が、南都屋のはじまり
やがて、魚屋の二階に小上がりを作り、
客の求めに応じて、
刺身や酒を供するようになる。
窓枠にもたれて往来を眺め、
地の魚に舌鼓を打ちつつ一献傾けるのが、
仕事上がりの人々の楽しみとなった。
料亭として現在の建物を構えたのは、
昭和4年(1929年)ごろのことである
(2017年)
平成29年7月21日、南都屋本館が国の登録有形文化財の認定を受けました。
昭和4年(1929年)築、木造2階建て。
「造作材に米松や地松の良材を用い、洗練された意匠の料亭建築」と、特徴にうたわれております。
この写真は、瓦工事が完了している事から、「ぐしまき」の際に撮影されたものと思われます。
当時は、柱が立った式典の「たてまえ」と、瓦が乗った時の式典「ぐしまき」を行っていました。
また、写真原本の台座に、「越後中条五十嵐」とプリントされており、撮影した写真館と思われます。
当店二階の大広間を見渡すと、三間半の長さに、フシ一つ無い一本物の米松の【なげし】や【欄間】など、当時のままに保存されております。
旧中条宿の花街文化を今に伝える建物を、是非一度ご覧ください。
棟札(むなふだ)
当店二階大広間の天井裏に祭られていた。
昭和4年12月7日、祭主 須貝五平(三代目当主)
棟梁 江端權一郎と記されている。